
●スリランカ民主社会主義共和国(1948.02.04)
人口 2,027万人
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スリランカとミャンマーの風景
解説
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●ミャンマー連邦共和国(1948年ビルマ、1990年改名)
人口 5,142万人
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スリランカ人の信仰の中心、古都キャンディ・仏歯寺
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●スリランカの65-70%の国民が仏教徒で、中部の第二の都市・キャンディは最後の古都であり、また仏陀の歯を祀っていることで有名です。
仏塔はスツーパと呼ばれ、仏陀の遺骨や遺髪が納められている。
●ミャンマーには、至る所に仏塔があり、国民の90%が仏教徒で信仰の深さを感じさせる。
仏塔はパゴダと呼ばれ、仏陀像が納められている。
両国ともテーラーワーダー:上座部仏教国でともに宗教的に親しい関係にあると言われている。その他、タイ王国・チベットなども。
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ミャンマー最大のシュエダゴン・パゴダ
(Shwedagon
Pagoda)
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スリランカのシンボルは象さん
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●スリランカの象さんは大人しく、日本の動物園でもお馴染みです。
●ミャンマーでも象さんをデザインしたグッズはよく見かけるが実際には奥地に棲息していて日頃は見かけない。
男性は、9歳までに一度お坊さんになり修行を義務付けられている。その後お坊さんになる男性は得度式のあとに仏門に入る。
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Shwedagon
の得度式 男子はお坊さんに
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南海岸の美しい風景
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●スリランカ
(Sri Lanka)は「光り輝く島」の意味でアラビヤ海とベンガル湾に囲まれたインド洋に浮かぶ美しい島国です。
●ミャンマーは、バングラディッシュ、タイなど多くの国々に囲まれ、多くの民族が複雑な争いの後に、漸く纏まり国づくりを進めています。(インレー湖の浮島で作物を栽培)
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村の女子の得度式(ピアスの穴を開ける)
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SunFrau発祥の地・コロンボのオランダ統治時代の建物
LANKEM
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●多くのスリランカ・シンハラ人は、紀元前5世紀ごろインドの北部から移住した釈迦と同じア−リア人の子孫と言われ、全土にあるアーユルヴェーダは仏教の伝来とともに伝えられたと考えられている。ナヌラダプーラの王国誕生から、のちにポルトガル、オランダ、イギリスの統治時代からコロンボは経済・文化などの中心であった。
●ミャンマーの歴史は、まだまだ不勉強ですが、仏教伝来は4世紀ごろスリランカからと言われている。数多くのパゴダには国民の仏教への帰依の表れで、保存の良いもの、朽ち果てているパゴダなど様々です。その歴史を伺える。
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バガン(Bagan)の3000と言われるパゴダ寺院群の一つ
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名跡シギリヤ・ロック (Sigiriya
Fortress)
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●多民族国家のミャンマー(カヤン首長族の親子):8つの部族、全体で135に及ぶ民族が存在すると言われる。
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Baganの仏塔の一つに祀られた黄金の仏陀像
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シギリヤ登頂の途中で観られるシギリヤレディ
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●シギリヤ・ロックは5世紀にカッサパ1世により建造され、スリランカの世界遺産の文化遺産6箇所の一つ。その中でもシギリヤレディは最も有名。その他、自然遺産2箇所。
●ミャンマーは唯ただ仏陀!ミャンマーの世界遺産はピュー(エーヤワディー川流域)だけで、バガン(Bagan)のパゴダ(Pagoda)群は含まれていない。理由はホテルが混在しているため!とのこと。
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町の市場で売られていた仏陀像
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スリランカの象徴シンハ(Shinha=ライオン)の登頂口
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●シャン族の子どもたち(ホッペにタナカを塗っていて世界文化遺産だそうです)
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国民の9割が仏教徒で町の至る所に黄金に輝く寺院がある。
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よく見られる大トカゲ(危害は加えません)
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スリランカとミャンマーは、ともに(上座部)仏教の国、近隣で似ていて、異なる民族文化をもつ国である。それは辿った様々な歴史に由来すると感じた。
サン・フラウでは、2016年からスリランカから学んだアーユルヴェーダをミャンマーに伝承することを始めました。
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インレイ湖の水上レストラン
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